2022考研日本文学名词解释:文学作家篇
知识点
①. 什么时期的作家
明治・大正期
②. 什么性质的作家
小説家・評論家・翻訳家など
③. 生平——简单介绍
大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツに留学した。帰国後、……
④. 文学活动
日本最初の評論中心の専門誌『しがらみ草紙』を創刊し、坪内逍遥と没理想論争を繰り広げた。
⑤. 有什么作品
訳詩編『於母影』、小説『舞姫』『文づかひ』など。
⑥. 属于什么流派、创作特点等
初期浪漫的な作品や訳詩集を発表し、陸軍軍医総監に昇進した翌々年、文壇に復帰し、大逆事件の後、史伝と歴史小説に転じた。など
答案范例森鷗外は日本明治・大正時代の小説家・評論家・翻訳家であり、陸軍軍医でもある。本名は森林太郎で、大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツに留学した。ドイツ留学の経歴を素材にして、『舞姫』『文づかひ』『うたかたの記』というドイツ三部作を発表した。
森鷗外は日本明治・大正時代の小説家・評論家・翻訳家であり、陸軍軍医でもある。本名は森林太郎で、大学卒業後、陸軍軍医になり、陸軍省派遣留学生としてドイツに留学した。ドイツ留学の経歴を素材にして、『舞姫』『文づかひ』『うたかたの記』というドイツ三部作を発表した。
初期の文筆活動として、1889年、日本最初の評論中心の専門誌『しがらみ草紙』を創刊し、坪内逍遥と没理想論争を繰り広げ、西欧の名作の翻訳紹介も積極的に行った。日本文壇に大きな影響を与えた。また、「ドイツ三部作」、訳詩集の『於母影』と翻訳作の『即興詩人』が残されている。
明治二十年代の創作活動ののち、陸軍軍医総監に昇進した翌々年、文壇に復帰し、『青年』『雁』『妄想』などの秀作を発表し、余裕派の代表作家になった。
けれども、大逆事件以後の鷗外は、現代を書くことを断念し、史伝や歴史小説に転じた。『阿部一族』『山椒大夫』『高瀬舟』などがそれらである。