2022考研日语:私が理解している「研究」ということ
私が理解している「研究」ということ
まず、私は日本語専攻ではないので、外国語に関する研究について述べる資格はないと思う。以下の内容は、三年間にわたる自分の専攻における学習に基づいて書かれたもので、もしかして外国語関係の研究に対して不適合なところがあるかもしれないが、ここでひとまず自分の理解をもとにして「研究」ということについて述べたいと思う。
まず、自分の研究を始める前に、一つの問題を明らかにしなければならないと思う。それは、私たちはどんな目標が(→を)達成したいのかという問題だ。研究者として成し遂げたい目標は、自分の研究したいテーマを、厳密かつ簡明に説明し、他人の納得を得ることではないかと私は考えている。ここでの「他人」には、単なるある程度の知識を有する人だけでなく、特に障害のない成人が全て、含まれるべきだ。つまり、もし自分の研究成果は(→が)専門家ではなく常人である人の認めが(→承認が)もらえるなら、この研究はすでに目標に達していると言えよう。
また、良い成果が出せるように、自分の達(or→が達成)したい目標を明確に把握した上で、以下の三つのことに注意を払った方がいいと思う。
第一に、できるだけ自分の研究テーマを小さくすること。例えば、もし私は(→が)「民俗文化」について研究したい(の)なら、自分に「どこの民俗文化なのか」、ひいては「民俗文化のどの面なのか」というような問題を問い直さねばならない。つまり、研究の範囲を縮めるということ、あるいは特定な視点を見つけ出すということだ。もちろん、それは私たち学生の能力にふさわしい研究テーマを決める方法で、著作や本を目指している研究者にとっては当て嵌らない話になるだろう。
第二に、先行研究を踏まえて、自分の研究を進めること。我々は、「巨人の肩の上に立つ」ということを通して研究を行うに違いない。現在においては、様々な分野で優れた研究成果が相次いで、理論および実践を円熟化に(orして)推し進めている。それは先人の積み重ねた研究と切り離しては考えられないのだ。
第三に、論理的に自分の発想を説明すること。根拠なく自分勝手に結論を下したら、自分の研究は他人の認め(→承認)が得られず、失敗の研究とされてしまう。なぜかというと、そもそもロジカル的に自分のテーマを説明できないのは、自分さえ(→でも)そのテーマを完全に理解していないからだ。それで、自分すら(→でさえ)分かっていないなら、他人への説明はかなりしにくくなるので、他人に受け入れ(られ)るのは当然、不可能なことだと言わざるをえない。
まとめて言えば、「研究」とは、一定の目標・目的をきちんと把握しつつ先人の成果に基づき、自分のテーマを徹底的に究明し、分かりやすく他人に説き明かすということだ。また、他人の認めが(→承認を)もらえる(→得る)ために、真剣な態度と弛まぬ努力が研究に欠かせない要素だと言ってよかろう(→いいだろうor要素だと言うことができる)。