2022考研日语:若者の読書離れについて
最近よく耳にする言葉の一つに「若者の読書離れ」がある。パソコンやスマホなどが原因で、今の若者は親の世代ほど読書が盛んに行われていないという。果たしてそうなのか。
確かに、「スマホをいじっていないで、さっさと勉強しなさい」と言う親は少なくないだろう。さて、なぜスマホやパソコンを弄ることで、親が勉強していないと判断した(→する)のか、三十年ほど前に、電子科学はまだまだ進んでいない時代に、親の世代は勉強と言えば授業以外はまず本であろう。外に知識を得る手段はなかなか少なくて、本を読まない限り学問や研究はありえないという先入観をもつのも不思議ではないだろう。しかし、今の時代では、電子製品は本と同じ若しくはそれ以上の機能を持ち始めた、使い道も多様化している、勿論娯楽の道具として扱われたりもするし、その気になれば知識を吸収するルートで使われたりもする。今までの新聞紙の代わりに電子版のニュースを見たり、ネットで問題集を解いたり、宿題をしたりするのも一種の読書ではないだろうか。勉強の最終目的が果たせるのなら、手段は読書であろうとネットワークであろうとさほど重要ではなくなる(→なくなっている)と思うが、これからの時代により高い能力を求められている以上、少し形式は変わるが、若者の読書離れは問題にならないだろう。
ところが、真の読書離れ問題は中年層や高齢者層にある。初めて日本に(→を)訪ねた時から気になっているのは、バスの中でも、電車の中また地下鉄の中でも、日本人が静かに本を読んでいる姿を度々見かけたが、その殆どが中年層や高齢者であること(だorだった)。受験勉強や進路に悩まされる若者と違って、誰かに本を読まされたりしないので、心底から愛さない限り、そのような雅な嗜みは無理だろう。一方、国内では、至る所で世間話でがやがや騒いだり、大声で電話したり、退屈そうにうたたねしたりしているオトナたちに囲まれては、全然落ち着いて読書するどころではないだろう。こういう自分自身も本を読まない中年層や高齢者層が若者の読書離れを批判するのに違和感を感じるのは私一人だろうか。若者に読書の習慣を身に付けさせるにはまず親が自らそうしないと成り立たない(の)ではないだろうか。
注意点1:1000字以内に収めること
注意点2:だ体/である体を使うこと
注意点3:書簡文にしないこと