2020考研翻译硕士复习正在紧张的进行中,下面新东方在线在此整理了2020考研翻译硕士:【MTI 日语】赏樱(2),希望能帮助大家!
中国人赏“花开”,日本人则是赏“花落”。中国人喜爱鲜花盛放时的娇艳美丽,而日本人则欣赏落花纷飞时淡淡的哀伤。
【原文】
中国で花といえば、人々は豪華絢爛たる牡丹を思い浮かべるだろう。また、優雅で奥ゆかしい蘭の花、雪の中で鮮やかに咲く梅の花、すらりと美しい蓮の花……地域の違い、経歴の違いによって、思い浮かべるものも多様である。日本と比べ、多くを包容している気がする。この点において、斎藤正二氏の見解はかなり面白い。同氏は、日本の国の花―桜は社会神話であり、民族主義、国家主義の産物であるという。これは、「花と言えば桜、人と言えば武士」という言葉からもその面影を見ることができる。
もちろん、日本人の桜に対する愛着を政治に帰結させることはできない。中国人と日本人の花を観賞する最も大きな違いは、中国人の対象拡散に対する日本人の集中だと言うより、中国人は開花」を観賞するのに対し、日本人は「落花」を観賞することだと言った方がいいかもしれない。中国人は、花が満開した時の鮮やかで美しい様子が好きであり、日本人は、花が散り去る時の淡々とした哀傷を観賞するようである。
【译文】
在中国,提到花,人们也许会联想起雍容华贵的牡丹,清幽素雅的兰花,傲雪怒放的梅花,婷婷玉立的荷花……,因地域不同,经历不同,浮现出的意象不一而足。相对日本而言,显现出一种多元包容的姿态。在这一点上斋藤正二的意见颇为有趣,他认为日本的国花樱花,是一种社会神话,是民族主义、国家主义的产物。这可以在“花推樱花,人数武士”的口号中看到一些影子。
当然,日本人对樱花喜爱不能归结于政治。中国人与日本人的赏花的最 大的不同,也许并不在于中国人的对象扩散而日本人的集中,而在于中国人赏“花开”,日本人则是赏“花落”。中国人喜爱鲜花盛放时的娇艳美丽,而日本人则欣赏落花纷飞时那份淡淡的哀伤。
【语法】
1. ……という
接续:文の普通体+という/ということだ/とのことだ
将自己从别人那儿听到或自己在书上等看到的信息传达给对方,“传闻”表达方式。和【~そうだ(伝聞)/~と聞いている】意思相同。【~ということだ/とのことだ】可以用在会话中。【~という】多用于书面语。“听说……”、”“据说……”。
例1:
その美人の先生が近々結婚なさるということです。残念!
听说那位美女教师最近要结婚了。太可惜啦!
例2:
人間が死んでも霊魂が生きているという。
有人说,即使人去世之后,灵魂还活着。
2. ……ようだ
对于一种情况,不做直截了当的断定,而采取一种比喻式的说法,这就使得断定带有委婉的语感。这种表达语,也可以用来表示不确切的断定。除了用「ようだ」的各种形态来表达外,还可用「~ように見える(思われる)」一类惯用型。
例:
病気になったじゃないか。熱が高いようだ。
是病了吧?好像发烧了。